1.2 慈覚大師との出合い(秋保二口磐次郎磐三郎説)

湯元洞窟堂
湯元洞窟堂 塩滝不動尊が祀られている
 仏教の伝導のため奥羽を行脚していた慈覚大師は、名取御湯のほとりの磊々峡の岩山の粛々さに惚れ、ここに精舎(洞窟堂)を開き村人を導こうとしたが、時の領主は仏を好まず何かと嫌がらせを繰り返し危害を加えるので、仕方な洞窟堂く活動を断念、新天地を求め羽州へ赴こうと名取川沿いを逆上ったという。途中秋保大滝の壮観と森厳さに心を打たれ、暫しここに足を留めて不動尊を安置した。(秋保大滝不動尊の起源という。)


奇岩群
洞窟堂一帯を構成する磊々峡の奇岩群
 さらに名取川沿いに歩き、西磐神の渡し(風の洞橋か磐司橋?)を越えて次第に二口峠に近ずいていた時・・・
 突然木陰から二人の異様な風貌の山男が現れた。「俺たちはこの山の主、磐次郎磐三郎という兄弟だ。着ているものをすっぽり置いてゆけ。」と大師につけより腰の山刀で脅した。脅された慈覚大師はひるむことなくスラスラと法衣を脱ぎ、ついには裸一つになったという。
しかも・・・ 大師は穏やかに笑みを浮かべ「お前たちは愚僧から何もかも盗ったと思っているが、わしにはこれでもなお高価なものを持っておるのだ。・・・・・ 何だかわかるまい?」


風の堂橋から磐司岩を望む
風の堂橋から磐司岩を望む

 兄弟にはどう考ええても分からない。
教えてくれと頼むと
「ならわしにも頼みがある。・・・ お前たちの悪業これからは一切しないと約束できたら語ろう。」と大師。
 山刀を振りかざした二人は顔を見合せ暫しためらった磐司橋が、ついにはしびれを切らし「よかろう!語れ」といった。
「ん。お前たちはわしを裸にし何もかも盗ったと思っていたろうが、わしの心ばかりは盗れなかったろう。・・・ どうじゃ・ 他人の心を盗るには、常々善い行いをしなければ盗れるものではない。これは最も難しく、最も誉れ高く尊い事なのじゃ・・・わかるか・・・ 云々」
 慈覚大師に諄ケと諭されやがて改心悟した兄弟は、持っていた弓矢を捨て、ついには慈覚に教えを乞い善人になったという。  表磐司にも裏磐司にも百人ほど入れる岩屋(岩窟)があって磐次郎磐三郎の住家と伝えられ、後にマタギたちが入ってみると中に衣のようなものがあったという。
 その後兄弟に案内され縄張りである今の山寺へ行くと慈覚大師円仁は、その山容を見渡すと汗でぬれた衣を乾かすほんのわずかな場所を借りようと磐司に乞い願ったという。承諾を得た大師が衣をさっと石か木に掛けるとたちまち衣が広がり、山寺しいては二口面白山など全山を覆いつくしたという。
 さらに円仁は、後に土地借用について兄弟に証文を書き渡した。はじめ十年の約束で承諾した磐司だったが、「十」の上に「ノ」という墨をこぼすという大師の巧みな筆使いにより、借用期間は千年になったと伝わる。




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