中世以降、秋保郷の小領主としての地位を築いた秋保氏は、5代基盛の時にその拠点となる城を構築する。 この楯山城がそれであり、名取川対岸の長館に居館を移すまで長く秋保氏の本城であり、秋保五ケ村を支配していく上での拠点であり象徴だった。
楯山城は周囲に名取川と本砂金川を取り巻き、標高334mの独立峰という特性を生かした自然地形を巧みに利用した山城で、 山頂は面積1,5ヘクタールに及ぶ広大な敷地があり、本丸・二の丸・物見・堀形の遺構が残っている。 秋保郷の眺望にも優れており、当時は秋保郷に割拠する一族と連携しながら、 土地領民の支配と外敵の侵入を包括的に管理統括していた場所である。