秋保温泉の中心街から木の家ロッジ村方面へと旧二口街道を西へ進路をとると、 右手は名取川の断崖が迫り、左手には街道沿いに見上げるほどの岩壁が屏風状に続く地点にさしかかる。 名取川まで険しい山が突き出ているこの付近は、道幅がもっとも狭くなり湯元の咽頭部的要素を備え、 軍事重要地点として位置付けられてきた。天然の断崖状に広がる約1haの平場は湯元地区で唯一「館」のあったところである。
小屋館は秋保氏の分家で馬場村を支配した馬場氏の3代定重が、釜房方向川崎町を経由して侵入する最上氏に備え、 軍事目的を中心とした妨害基地として使用されたものといわれている。 定重はこの館から10kmも離れている場所に居館を構えているにもかかわらず、 本家秋保氏の所領長袋村と分家の境野氏の所領境野村を飛び越え、この湯元に小屋館を建設し、 秋保郷の東西両端の境界警備を任されていた。つまり定重はその武勇と功績の上に伊達氏に絶大なる信頼を得ていたものと推察されている。