兄弟は狩の名人でもあり、山賊でもあったという。
兄の万二郎は二口(磐司)、弟の万三郎は蕃山を住処に山野を駆けめぐり、狩猟を得意とするほか、付近を往来する旅人を襲い強奪を繰り返すという生活をしていた。
その頃、蕃山の山麓には松島瑞巌寺の住職「雲居」禅師という偉い和尚が隠棲のため移り住んできた。ある晩、兄弟は白刃を振りかざしこの和尚を襲う。しかし和尚は身動き一寸もせず、進んで身ぐるみを兄弟に寄進し説話(省略)する。この時二人は禅師の功徳と威厳に感化、荒行を改め禅師に髄身し遂には名僧となったという。
※雲居禅師は、土佐生まれ江戸前期の京都妙心寺臨済宗の禅僧で、大阪冬の陣では大阪城に籠城し捕らえられる。その後伊達藩主忠宗の強い要請によって松島瑞巌寺の中興(再興)をまかされた。晩年は蕃山の山麓に大梅寺開山に尽力する。
(万治二年8月8日享年78才)
※大梅寺に残る万二郎万三郎説は二口山塊のそれとは時代が大きく違っている。おそらく江戸初期既に発生していた磐司磐三郎(兄弟?)伝説を、巧みに使ったこの時代の人物が存在したと推察される。
という神社がある祭神は「磐三郎天狗」という。
万三郎は、藤原鎌足を遠祖とする下野(栃木県)の藤原秀郷の後裔とある。万三郎の子孫に定六という人物がいて、この定六の猟犬が祭神として祀られている。