秋保電鉄の歴史

秋保電鉄の歴史

1911年
(明治44年)
8月24日に長町~秋保間馬車軌道施設計画が出願される。
1912年
(大正元年)
10月21日に秋保軌道施設として認可された。
1913年
(大正2年)
6月22日に秋保石材軌道(株)(資本金20万)が設立される。
1914年
(大正3年)
12月23日、秋保石の採掘・運搬と温泉への湯治客の輸送を目的に秋保石材軌道の
馬車鉄道として長町~秋保温泉間が開通し、営業が開始された。
停車場は、長町・富沢(後に西多賀)・鈎取・太白山・茂庭・北赤石・湯元の7つで
停留所構内は、複線となっていた。
1922年
(大正11年)
7月20日、軌間2呎6吋(762mm)を軌間3呎6吋(1067mm)に改軌し、馬車から電力に
よる輸送方法に切り替え近代化を図る事となった。
社名も秋保石材電気軌道(株)と改称し、1925年6月14日に電気による電気鉄道として
運転を開始し輸送力増強に寄与した。
1931年
(昭和6年)
2月18日より長町~秋保温泉間にバスの営業を開始。
1941年
(昭和16年)
9月より、戦時色が強まると共にガソリン配給停止による運休を余儀なくされる。
1944年
(昭和19年)
7月29日地方鉄道に昇格し、社名も秋保電気鉄道(株)と改称する。
1949年
(昭和24年)
戦後の混乱期から落ち着いた4月19日からは、長町・鈎取間でバスの運行が
再開されるなど温泉客の需要を見込んでの事業拡大路線を展開するものの
累積赤字が膨大となる。
1959年
(昭和34年)
7月3日、仙南交通自動車(株)と合併し、仙南交通(株)となり、赤字解消に努力を
傾注するものの累積赤字を思うように回復する事が困難となる。
1961年
(昭和36年)
5月7日をもって、長町~秋保温泉間を48年間の長きに渡り走り続けた秋保電鉄は
閉業した。翌8日には、盛大に閉業式を行い沿線の人々に惜しまれながら
秋保電車の歴史に幕を下ろした。
1962年
(昭和37年)
5月には、湯元小学校跡地にバスの新停留所が建設され、7月1日にバスの運行を開始。
1970年
(昭和45年)
10月1日仙南交通(株)は、宮城交通・宮城中央交通
と合併して、宮城交通株式会社として発足し、現在に至っている。

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