秋保の歴史

二口街道の歴史

長袋検断と長袋町集落

長袋検断と長袋町集落
所在地:仙台市太白区秋保町
 ニロ街道が長袋と川崎町本砂金へと分岐する地点に、藩政時代には代々長袋町の検断(番所)を世襲し、肝入や村長を輩出した旧家がある。ニロ街道を中心とする物資の交流が盛んだった時代、その手段は人馬の背に頼っていたものであるが、この家がいわば「駅」の機能を有していた。つまり赤石或いは愛子の検断で内容の検査を受けた荷物は、長袋の検断で再点検し、次の馬場或いは本砂金の検断へと搬送されていった。現在も当家には「中門」があり、検断を勤めた頃の面影が残されている。また、長袋「町」の集落は、秋保氏23代氏盛が長館及び家中集落整備にともない、商人や職人など武士以外の人々を集め住まわせたもので、ニロ街道を行き来する旅人のための多彩な機能を果たしていたほか、整然とした家並みは当時を偲ばせている。

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長袋検断と長袋町集落

馬場検断と馬場駅集落
所在地:仙台市太白区秋保町
 馬場「駅」は街道を境にして町南と町北に分かれ、現在も宿場町的景観を残している。町北に通称「会社」とか「中宿」とよばれる旧家があるが、もとは検断や問屋を兼ねていたところであり、肝入りや戸長を輩出している。会社という通称は明治のはじめニロ街道を主体に陸運会社を経営したことに由来する。また、集落の名称を「駅」ということからも、ここは長袋と野尻の中継地点の機能を果たし、人々が荷の積み替えを行ったり、街道越えの休憩所等の施設があり賑わいをみせていた。馬場駅は、秋保氏分家馬場氏3代定重がそれまで上館(愛宕神社)の前にあった家中を豊後舘移築の際に移動整備させたもので、道路沿いには整然と並ぶ家々のなかにいにしえの風景をみることができる。

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野尻足軽集落と野尻番所

野尻足軽集落と野尻番所
所在地:仙台市太白区秋保町
 ニロ街道沿い宿駅で最もニロ峠に近いこの集落は、藩政時代いわゆる百姓は1戸もなく2戸の組頭を含む22戸すべてが藩の郡奉行支配の足軽であり、給金の支給を受けていた在郷武装集団の集落である。この集落の基幹「姓」は佐藤で、鎌倉時代以来この地に居住していたと言われ、伊達氏が仙台へ移住するころから御足軽として召し抱えらた。このとき各所に散在していたそれぞれの屋敷は、「ろばた」から直接通行人を監視するという軍事上の目的を果たすため街道沿いに向き合う形で一直線に集められた。現在も旧観をとどめている場所がある。野尻の北側西外れには「野尻番所」が置かれ、取締りの対象は女房・鷹・馬の他、穀物・織物・油・銅・鉛・薪・紙・漆・煙草など多岐にわたり、足軽衆が月番制の交代でここに詰め,その傍らでは藩から派遣された指南役の指導で柔剣術等の稽古をしたり、謡曲を習ったりしていた場所があったと言われている。明治となって御足軽衆に対する給金が廃止され、更に街道の荷物の主導権が関山街道に移るとともに集落の繁栄も衰退し、山村集落としての生活基盤を作り現在に至っている。

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