磐司磐三郎物語

二口に広がる磐司磐三郎伝説

1.5 山寺千手院地区に伝わる磐司磐三郎の墓

磐司磐三郎伝説
 磐司磐三郎の屋敷があったといわれる千手院地区に前述の磐司愛犬の墓のほかに、なんと磐三郎本人の「墓」がある。
 標書きには、父は藤原良継(馬王)の一子で猿丸太夫で、母は香取明神磐比主命の子孫である山姫。
 磐司磐三郎は775年生母の郷に生まれ、830年円仁に流域を譲渡し、立石寺開山に支援、847年に千手院に没すとある。
 風雪に絶えたと思われるその碑は、劣化のあとのみを残し、らしい風格を備えている。
 ・・・墓を建立するという文化は中世以降である。しかも時代の重要人物がそのはじまりとされ・・・
しかし、はっきりと磐司磐三郎の墓だという。(因みに墓があるという記録等にはめぐり会えなかった。再調査の余地あり)



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